2つの聖地、マラカナンとコパカバーナを巡る自分との戦い。-ブラジルW杯決勝
キックオフ後、歓声が一段落するとビーチの波の音と上空を旋回するヘリの音のみがコパカバーナのファンフェス会場を包む。みんな固唾を飲んで、画面を凝視している。
ビジョンに一瞬、コパカバーナ上空の絵が映る。自分がここにいるんだ、というささやかな喜びを感じる。
すがすがしく晴れ渡ったビーチに集結した、おびただしい数のアルゼンチンサポ。日本人である自分よりは圧倒的当事者であるはずなのにスタに入れない悔しさは微塵もみせず、試合前からアッケラカンと陽気に騒いでいた。
連日連夜のアルゼンチンサポの騒ぎっぷりには、あきれるほど。天性の陽気さがそうさせるのか?とにかく楽しそう。それでいて、自然体で肩にチカラが入ってなくて余計にカッコよくみえる。
キックオフ30分前、ニーチケのボードをゴミ箱に捨て、チケット探しに自ら幕を閉じた。マラカナンに向かうことも選択肢としてあったが、警備が厳しすぎて手も足も出ないのは分かっていた。断念して、コパカバーナにとどまることに。自分にとって、今日だけ聖地をコパカバーナと決めよう。
無念だった。万策尽き、精魂尽き果てて、手に入らなかった悔しさで自然と涙が出てきた。前日のマラカナンではあと一歩のところでチケットが手元からこぼれてしまったが、その時は「高いし、別にどちらでもいいや」なんて思ってたけど。
やっぱり自分は決勝をマラカナンで観たかったんだ。自然に湧き上がってきた素直な感情だった。二週間前からリオ入りしていたのもマラカナンに入りたいから。朝5時起きを繰り返し、FIFAサイトにかじりついたのも決勝が観たいから。南米サッカー全盛の頃、少年の日に抱いた潜在的な想いと憧れがずっとあったのだろう。
サッカー観戦人生で、スタジアムに入りたくてもどうしても入れなかった試合はこれで3つ目。98年のアルゼンチン戦、2011年のアウェー北朝鮮戦、そしてブラジルW杯決勝。
また、同じ轍を踏んでしまった。いや、これがサッカーファンとしての自分の流儀なのかもしれない。庶民感覚からかけ離れたブルジョワ価格のチケットには絶対手を出さない。そこには、フットボールの本質はない、と思うから。
別に、自分がスタに入るか入らないかなんて他人にはどうでもいいこと。自分の人生でもさほど重要とは思えない。じゃあ、なぜそこまでして決勝のスタジアムに入りたかったの?
サッカーの観戦、応援と同時に自分への挑戦、応援の意味もあったように思う。自分自身との戦い。自分が試されているようだったし、人生の縮図のようでもあり、人生そのものでもあり。何かひとつのことに挑んで、チカラ以上を出し切るか?それとも、怖じ気づいて撤退するのか?
強靭なメンタルと情熱。その裏づけとなる潤沢な資金。何もかもが欠けていた。バカになりきれず、一度も勝負を挑めなかった。悔やんでも悔やみきれないが、これを含めてサッカーそのものなのかもしれない。純粋培養の金満ワールドカップに、無力だがひとり刃向かった自分を褒めてあげたい。
正直言うと、カネ積んで入っても、諦めて入らなくても、どっちにしても負けじゃないか?いや、どちらも勝ちでは?正解はいまだ自分でもよく分からない。
本大会中、無類の興奮を味わうことはついぞなかったし、むしろ劣悪な交通インフラに悩まされ、苦しかったことの方が多い。その度にブラジル人の親切さに救われた。思うのは、どんなに観光をしようとサッカーの興奮にはかなわない。ひとつのゴールが、ひとつの勝利がどれだけ人生を豊かにしてくれるか?
もう自分が生きている間にブラジルワールドカップを超える大会は来ないように思う。これ以上、熱くさせてくれるワールドカッブはもうない。4年後のロシアには全く気持ちが向かない。方向性をガラリと変えて、再び熱くなれるフットボールシーンを追い求めていこう。せっかくブラジルに来ているのだから、ブラジル全国選手権でスタジアムまわりをしたいね。ローカル・フットボールの世界でマラカナンを目指すことにするよ。隣国でのリベルタドーレス杯も観に行きたい。準決勝が控えているね。
サッカーは続くし、人生も続く。いつかまたどこかの地で歓喜を味わえる日が来る事を願う。
【了】