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決して風化させてはならない、日本サッカー史に残る「ドーハの悲劇」

20年前の今日、10月28日は「ドーハの悲劇」があった日。皆さんは、どこで何をしていましたか?

忘れようにも忘れられない。リアルタイムで経験していない20歳前後の若いサッカーファンも出てきてる現在、知っている者が語り継いでいかなきゃならないよね。

日本中が悲しみに暮れた日。崖から突き落とされたような、サッカーでこんな感情に襲われることがあるんだ、と初めて思い知らされた日。身内が突然、不幸に見舞われたくらいの衝撃だったよね。

冷静に考えれば、後半は特に劣勢の展開、いつやられてもおかしくない状況だったよね。選手の体力も極限なまでに限界にきてたのだろうね。終盤、初めてのW杯出場が刻々と近づいてくる興奮と、押されっぱなしでピンチの連続のヒリつき感があいまって、身体が勝手にぶるぶる震えてきて止まらなかったよ。ゴン中山選手の勝ち越し点を決めた時の阿修羅のような形相。途中出場でピッチに出て行く時の武田選手の引きつった表情。様々な場面が今でも浮かんでくる。

「頼むから守りきってくれ」「あともう少しでアメリカだ」。選手はもちろん、サポーターも極限までの精神状況に追い込まれたね。試合終盤から悲劇が訪れる瞬間までの時間は、震えて震えてしょうがない、声にならない、発狂寸前の錯乱状態だったかもしれないね。現地が、日本中が、ピッチに、選手一人ひとりに全身から突きあがってくるありったけの感情を移入させたよね。

試合直後のテレビ東京のスタジオ、お通夜だったよね。柱谷兄は嗚咽、釜本氏は目が真っ赤、金子アナも時々「モノを言えない状況」と言葉に詰まる。

もし「ドーハの悲劇」がなかったら、どんなサッカー界になっていただろうね。想像がつかないや。いや、サッカー大国ならいずれは通る道だよ。「ドーハの歓喜」に「ジョホールバルの悲劇」なんて歴史が逆になっていたかもしれない。

都並選手が怪我しなければ・・・北澤選手が出ていれば・・・他会場の結果が違っていれば・・・タラレバを言い出したらキリがない。

今ではもう、サポータ各々のひいきクラブで浮き沈みを経験してるのだろうから「ドーハの悲劇」も「 One of them 」(悲劇のうちの一つ)くらいの感覚に捉える方もいるかもしれないね。それはそれで日本サッカーの進歩だよ。

「あの日」があったから「今」がある。あの日を境にロスタイムの怖さやサッカーのおそろしさが身にしみた。「戦争」を体験した者として「戦後」の若いサポーターに、毎年語り継いでいこう。風化させないように、知っている者が一人ひとり語り部になっていこう。


【了】



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